語群(1~5):[かんぜん、さんしゃ、そほん、ひほ、ひれき]
◇銅貨のトリックは外国の探偵小説からヒントを得たのであるかもしれぬが、点字と六字の名号とを結び付けた手腕は敬服の外はない。この点は地下のポオも恐らく(1.サンシャ)を避くるであろう。由来日本語を表す暗号には巧妙なものが少なく、この暗号は正に従来作られた暗号中の白眉と言ってよかろう。その他筋の運び方、描写の筆致など、どの点にも(2.カンゼン)する所がない。(小酒井不木「『二銭銅貨』を読む」より)
◇一体司馬遷の事蹟は『史記』巻百三十の太史公自序と、『漢書』巻六十二の司馬遷伝とを、第一の史料とする。太史公自序は司馬遷の自伝であるから、彼の事蹟に就いては十分詳実なるべき筈であるが、実際は必ずしも左様でない。司馬遷の(3.ソホン )なる頭脳と、豪放なる筆致とは、記載せざるべからざる事項をも省略し、明確とせざるべからざる事項をも曖昧にして居る。班固の司馬遷伝も「報二任安一書一篇」の増補を除けば、その他は太史公自序の無責任なる鈔襲のみで、上述の欠陥に就いて、何等(4.ヒホ )する所がない。要するに『史記』と『漢書』とのみでは、司馬遷の事蹟を正確に知ることが出来ぬ。私は不確実なる司馬遷の事蹟の中で、彼の生年に就いて、聊か所見を(5.ヒレキ )したい。『史学研究』の創刊に際して支那史学の開祖たる司馬遷に関する事蹟を紹介するのは、寧ろ適当なる題目かと思う。(桑原隲藏「司馬遷の生年に関する一新説」より)
<ヒントの表示(1~5)>
語群(6~10):[かいい、しゅたく、そうこ、はいたい、はつだ]
◇具体的に司馬遷の年を伝えて居る資料は、『史記索索引』と『史記正義』とのみである。『史記索索引』は『博物志』に拠って、元封三年(西暦前一〇八)に於ける司馬遷の年を二十八と註し、『史記正義』は太初元年(西暦前一〇四)に於ける司馬遷の年を四十二歳と註して居る。双方の所伝の間に、十歳の(6.カイイ )があって、その儘では到底一致せしむることが出来ぬ。そこで私は『史記索索引』の所伝を根拠とし、王国維は『史記正義』の所伝を根拠とする。王国維説と自説との相違は主として茲に(7.ハイタイ)するのである。(桑原隲藏「司馬遷の生年に関する一新説」より)
◇抽斎は金を何に費やしたか。恐らくは書を購うと客を養うとの二つの外に出でなかっただろう。渋江家は代々学医であったから、父祖の(8.シュタク)を存じている書籍が少なくなかっただろうが、現に『経籍訪古志』に載っている書目を見ても抽斎が書を買うために貲を惜しまなかったことは想い遣やられる。(森鴎外「渋江抽斎」より)
◇私の記憶にして誤りなくんば癸亥大震災後、ようやくに文学というもの企業化し、全くのジャーナリズム王国築かれて(9.ソウコ )世界へ君臨するようになって以来のこととおもう。そのころ(10.ハツダ )の娯楽雑誌関係者は故石橋思案、森暁紅諸家のごとく、常盤木俱楽部落語研究会の青竹めぐらした柵の中から生まれきた通人粋子に非ずして、大半はこうした世界の教養を持たない地方出身の人々だったから、落語家講談師の一人一人のデリケイトな話風に立ち至ってまで知るよしがない。(正岡容「我が圓朝研究」より)
<ヒントの表示(6~10)>
<解答の表示>
1.三舎 (大見出しでないが、「三舎を避く」は大見出し)
2.間然
3.粗笨/麤笨
4.裨補/[毘補]
5.披瀝
6.乖異/乖違
7.胚胎
8.手沢
9.操觚
10.発兌
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