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分野別対策 文章題書き取り問題その15

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[あいしょういんかんひせいふうかんほうじゅう]

◇事実、将軍としての彼は、無能であったらしく、治蹟の見る可きものなく、寵嬖政治に堕して居る。併し何と云われても、信頼する事の出来ない重臣に取り捲かれて居るより、(1.)寵臣の側に居た方が快適であるし、亦安全であるに違いない。(2.)遠からず、現に嘉吉元年将軍義教は、重臣赤松満祐に弑されて居るのである。
 亦飢饉時の普請にしても、当時後花園天皇の御(3.)に会うや、直ちに中止して居る。これなどは、彼の育ちのよいお坊ちゃんらしさが、よく現れて居て、そんなにむきになって批難するにはあたらないと思う。
 所詮彼は一箇の文化人である。近世に於ける趣味生活のよき紹介者であり、学芸の優れた保護者である。義満以来の足利氏の芸術的素質を、最もよく相続して居る。天下既に乱れ身辺に内戚の憂い多い彼が、纔かに逃避した境地がその風流である。特に晩年の(4.)と驕奢には、政治家として落第であった彼の、ニヒリズムが暗澹たる影を投げて居る。
 故に表面的な驕奢と(5.)の故に、義政を以て応仁の乱の責任者であると断ずるは、あたらない。彼は寧ろ生まる可き時を誤った人間である。借金棒引きを迫って、一揆の頻発した時代だ。天下既に大変革を待って居たのである。
(菊池寛「応仁の乱」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[くそけんさんとうてんりくぞくれんよ]

◇旅行したい、どこへ行きたいも、うたにうたっているだけで、「院ノ庄」の一章も、つい回を追ってしまった。
 元弘の年、後醍醐の(6.)が通った姫路、杉坂、津山などの中国地方は、以前、宮本武蔵を書いていたころ、英田川あいだがわを中心に、かなり歩いた。もう二十余年も前にはなるが。
(吉川英治「随筆 私本太平記」より)

◇かくて無上の面目を施した翁は四月六日東京出立、同二十七日無事帰県したが、この時の上京を前後として翁の芸風が漸く円熟期に入ったものではないかと思われる理由がある。勿論翁の斯道に対する(7.)と、不退転の猛練習とは晩年に到っても懈る事がなかった筈であるが、しかしこの以後の修養は所謂悟り後の聖胎長養時代で、この前の六十余年は翁の修業時代と思うのが適当のようである。
 すなわち翁はこの前後に重き習い物の能を(8.)と披露している。
 明治六年(五十七歳)望月/同七年(五十八歳)正尊、景清/同十一年(六十二歳)卒都婆小町/同十三年(六十四歳)石橋(前記)/同十四年(六十五歳)赤頭道成寺、定家
 この明治十四年の「定家」披露後は明治二十五年まで(翁六十五歳より七十六歳に到る)格別の事もなかったらしい。何等の記録も残っていないが、しかもこの十年ばかりの間こそ、翁が芸道保存のために最も惨澹たる(9.)を嘗めた時代で、同時に翁の真面目が最もよく発揮された時代であった。
 明治十四年から同二十五年の間といえば、維新後(10.)の勢いを以て日本に流れ込んで来た西洋文化の洪水が急転直下の急潮を渦巻かせている時代であった。人間の魂までも舶来でなければ通用しなくなっていた時代であった。
(梅津只圓翁伝「夢野久作」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


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コメント

よっしゃ~

こんにちは

じっくり文章読んで、全問正解できました。

読み返してみると結構難易度高いですよね?

良くできた(自画自賛(笑))

ありがとうございました!

  • 2018/05/18(金) 10:41:03 |
  • URL |
  • rikuroku #-
  • [ 編集 ]

👏👏👏

rikurokuさん、コメントありがとうございます。
全問正解おめでとうございます😊

本試験ほどの鬼レベルではないと思いますが、難易度はそれなりに高いと思って出しています。
語選択形式だと、4と5がややこしかったかもしれません💦

こちらこそありがとうございました🙇

  • 2018/05/18(金) 11:32:09 |
  • URL |
  • spaceplusKK #hHfHWlpo
  • [ 編集 ]

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