(試験を挟んだので四週ぶりになります。)
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試験から早くも2週経過しました。
少しずつ学習記事のための情報収集を進めていますが、まだまだ準備には暫くかかりそうです。
早めに再開する可能性もありますが、もしかしたら11月は丸々お休みするかもしれませんね…。
また2週後の計画記事で、今後の予定をお伝えできればと思っています。
(余談)
「良禽は木を択ぶ」(四字熟語では「良禽択木」)という諺は、漢検学習者の皆さんならご存じでしょうか。
「賢い者は良い君主を選んで仕える」という意味の言葉ですね。
「君主」という大袈裟(?)なことに限らず、「賢い人は良い選択をする」と言い換えてみると、ごく当たり前のことを言っているように感じますね。
ただ、この言い換えの表現の解釈をよくよく考えてみると、2つの見方が出来るのではないかと気付きました。
1つ目は、「賢い人がした選択は良いものである」という見方、2つ目は、(対偶を取って)「良い選択ができない人は賢くない」という見方です。
違いを分かりやすく言うと、前者は"選ばれる側"の良し悪しが評価されているのに対して、後者は"選ぶ側"の良し悪しが評価されているということになります。
具体例を挙げてみます。
例えば、SNSでAさんがBさんの出した情報に対して、「いいね」を付けたとします。
A →❤ B
この時にもし、Aさんが賢い人と思われていたり信頼されていたりすると、「いいね」されたBさんの情報も良いものと判断されやすくなると思います。
これはBさん側の(情報の)良し悪しが評価されている状況です。
逆に、Bさんの出している情報が素晴らしいものだった場合、「いいね」を付けたAさんはその素晴らしさを正しく評価していると判断され、賢い人や見る目のある人だと思われることがあります。
この場合はAさん側が評価の対象ですね。
このように、一つの選択的な行動から、選ぶ側、選ばれる側の双方が評価されうる、という点は、改めて考えてみると興味深いと感じます。
それと同時に、選ぶ側、選ばれる側のどちら側であっても評価されている可能性があると思うと、一つ一つの行動を慎重に行わなければと思わされますね。
例えば、模試などの問題を出したときには、解答してくださる皆さんが評価されるだけではなく、同時に出題している私も評価されているということになるので、気が引き締まる思いです。
このように2つの見方を同時に意識することは、選ぶ側にいることで傲慢にならないようにするために有効だと思います。
同時に、選ばれる側にいることで窮屈に感じないようにするためにも、有効なのではないかと思います。
日々評価されることを過度に気にしてしまうこともあると思いますが、同時に評価する側にもいるのだと思うことで、少しは楽になるかもしれません。
ことわざをきっかけに色々と考えてみましたが、当たり前のように感じる言葉でも、深く考えてみると様々な気付きがあって面白いものですね。
ちなみに、「良禽は木を択ぶ」の故事では、上の2つのうちの片方の解釈の意味しか無いと思われます。
詳しくは割愛しますので、ご興味のあるかたは調べてみてください🙏
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