興味のある方のみコチラ↓
◇作業中
・故事熟語問題などの記事問題作成
・広辞苑の1級熟語チェック
◇計画中
・ランダム管理
・模試作成
弊ブログの記事もかなりの量になってきました。
従って、(先日もコメントでご質問いただきましたが、)優先度や重要度の高いものがどれなのかが分からなくなっていると思います💦
自分でもよく分からなくなっているので、何とか記事を振り分けるなどしたいところですが…何か良い方法はありますかね…(-ω-;)ウーン
(余談)
コロナの影響で全国の学校に休校の要請が出てから1ヶ月ほど経っているでしょうか。
今は春休み期間中なのでどうなっているのかよく分かっていませんが、休校が始まった頃には、一部の生徒を学校で預かっていたところもあったようですね。
その当時のニュースによると、そういったところでは「生徒を学校で預かるものの、教師は生徒を見守るだけで教えることはしない」という方針があったようです。
そして教えない理由に関しては、「学校に来ている生徒と来ていない生徒の間で、不公平が生まれないようにするため」とのことでした。
その話を最初に聞いたときは「なるほど」と思ったのですが、暫く経ってから、どうも腑に落ちないと感じ始めました。
単純に考えて、「教わりたい人」と「教えられる人」がそこにいて「教えないことが正しい」という結論になるとは思えなかったからです。
教育の公平性が重要なのは言うまでもありません。
しかしながら、教育の機会を減らすことで公平にするというのはおかしな話で、見方を変えれば、単に足を引っ張り合っているだけのようにも感じます。
公平性を確保するというのであれば、教育の機会が少ない人に支援の手を差し伸べることが本来行うべきことではないでしょうか。
ただ、急遽休校することになって慌ただしい状況の中で、学校側がこのような措置を取ることにした背景も、何となく想像はつきます。
従って、学校や教育委員会を批判したいがために、このようなことを言っているわけではありません。
現場の人からすれば、「そんなに単純な話ではない」というご意見もありそうですしね…^^;
私が気になっているのは、(私を含め)恐らく多くの人が、「公平性のため」と言う理由があることで、このような判断を手放しで"正しい"と感じてしまったのではないか、という点です。
今は、世界中の子どもたちの教育の機会が奪われている緊急事態なのですから、一部の子どもだけでも教育を受けられたほうがいいという考えがあっても良いと思うのですが、公平性を重視しすぎるあまりに考えが狭まってしまっているのではないかと感じました。
少なくとも多少議論があっても良かったのではないかと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか…?
さて、「啐啄同時」という四字熟語は、皆さんも恐らくご存じでしょう。
元は禅に関する言葉ではありますが、より一般に「学ぶ者と教える者の息が合う」ということに対しても使われます。
そして一方で、この四字熟語には「またとない好機」という意味もあります。
これは「悟りの機会」から転じた意味なので少々大袈裟な表現になっていますが、それでも教育の機会がとても貴重なものであることに変わりはないはずです。
また、親鳥と雛の本来の意味を重ね合わせてみても、この四字熟語には何か教育の本質のようなものを私は感じます。
状況によっては簡単ではないことは理解していますが、学ぶ者と教える者がその場にいるのであれば、可能な限りこの"好機"を逃して欲しくはないと思っています。
勿論、全ての子どもが授業を受けられる状況になることが一番ですので、コロナの感染拡大が少しでも収まることを願うばかりです。
- 関連記事
-
-
四字熟語の活用 2020/05/03
-
マスクを作る 2020/04/19
-
啐啄同時 2020/04/05
-
興味をそそるコンテンツ 2020/03/22
-
合否発表まであと3日 2020/03/08
-