漢検1級模擬試験倉庫

文章題書き取り問題(19~24)

今季分(その19~24)の「文章題書き取り問題」を纏めたPDFを公開します。

「文章題書き取り問題(19~24)A」「文章題書き取り問題(19~24)B」という2種類のPDFがあり、それぞれ問題は6ページ、解答は1ページです。
前回同様、通常の書き取り形式、語選択の書き取り形式です。

語選択形式のPDFにも「ヒント」は載せておりませんので、ご注意ください。

ダウンロードはコチラから↓
http://ux.getuploader.com/spaceplus01/

時間が経って見つけられない時のために、「文章題書き取り問題」の検索結果画面をリンクしておきます。→コチラ
PDFは複数ありますので、お間違いのないよう番号をご確認ください。



試験までは残りあと僅かですので、深追いの無いよう十分ご注意ください。
上手くご活用いただければ幸いです。

なお、明日(2/7(金))の学習記事はお休みさせていただきます🙇
また、来週は月~金で直前模試を公開します。

文章題書き取り問題その24

文章題書き取り問題(選択形式)です。

※今回の文章は「その22」の続きからの出題です。
軽く前の文章をご確認いただければ、理解しやすいかと思います。


語群(1~5):[きょくせきしったちゅうちょうひっせいゆうし]

◇更に(1.)して二三の号舎を仔細に窺えば、年々の受験者等が嘗て灯せる油煙の痕、尚歴然として壁間の凹処に認められ、幾多受験の士子等の心血を濺ぎし跡忍ばれて哀れなり。当年号軍等の(2.)叫喚の声亦尚耳に在る心地す。されば若し此の荒廃のみならましかば、鬼気人を襲いて、長く(3.)の低徊をゆるすべきにあらざれど、満地に舗ける菜の花の我が国にて見馴れたる黄色のもののみならで、紫の色さえたるが多くさき雑じり、幾千万の青年が(4.)の栄として通過を希いし其の竜門の辺、砌間となく階前となく、皆此の黄紫の花もて被われたれば、此処にも春は忘れで訪れにけると覚えて、懐古の念は為に一しおの深さを加えながら、而も人をして徒に(5.)自失に終わらしむることなく、虚心考察の余裕を得せしめたりき。(原勝郎「貢院の春」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[かんかさいかしっぴとうだいれきかい]

◇(6.)して明遠楼上に登臨すれば、二万六百四十四の号舎鱗の如く眼下に列なる。屹然として相対し東西に聳立するは、所謂瞭楼なるものにして、これよりして(7.)せば、各々院の一半を監視し得べく、号舎に就ける士子等の妄動を禁じ得べきものなり。監視の設備の甚だしく厳重なるは、人をして近世式の監獄を連想せしめ、狭矮なる号舎の(8.)は、曽て米国市俄古にて見物せし、ユニオン・ストック会社の家畜市場を思い起こさしむ。江南二省二万余の士子此の一試場に会して(9.)を闘わし、而も(10.)僅かに約百五十人のみと云うに至りては、蓋しこれ文明の一大偉観にして、欧米諸国と雖も、之に比隆すべきものあらず。(原勝郎「貢院の春」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>





「文章題書き取り問題」シリーズは今回が今季最終回です。
お付き合いいただきありがとうございました。

今季分の問題を纏めたPDFは本日中に公開予定です。

文章題書き取り問題その23

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[あんきざんかんさんたんせいめんそうそつ]

◇周三は、此のモデルを得て、製作熱を倍加した。屹度芸術界を驚かすような一大傑作を描いて見せると謂ッて、恰(まる)で熱にでも罹ッたようになッて製作に取り懸かッた。…(中略)…何しろ腕一杯のところを見せて、少なくとも日本の洋画界に一(1.)を開こうという野心であッたから、其の用意、其の苦心、実に(2.)たるものであッた。(三島霜川「平民の娘」より)

◇以上は当時余輩が極めて(3.)の際において、殆ど一夜漬けとも謂うべき極めて粗雑なる駁論の梗概である。今にしてこれを観るに、論鋒甚だ激越にして、(4.)為に肌を湿すの感があり、論旨またすこぶる不備にして、さらに補訂を要するもの少なからざるも、ともかくもその当時にありては、従来記録上より、また実物上より立論せられたる一切の非再建論を、ことごとく一通りは論破しえたものであったとの確信を今もなお有しているのである。(喜田貞吉「法隆寺再建非再建論の回顧」より)

◇蓬莱や日のさしかかる枕もと 釣壺
 めでたい句である。朝日のはなやかにさしたる、とでも形容すべきところであろう。(5.)の主人はまだ牀中にあって、天下の春を領しているような気がする。
(柴田宵曲「古句を観る」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[かいびゃくきゆじゅんじゅんそじゅつぼうよう]

◇駒井は自分の研究事項に対しては、その人をさえ得れば非常に親切な開放心を持っていて、素人に向かっても(6.)として説くことを厭わない気風を持っている。…(中略)…
 駒井は指で、海図の上のある一端を指摘しました。
「左様でございますか」
 指差されたところを注視したけれど、お松としては、やはり(7.)たる海の中に置かれたと同様な心持ちで、さっぱり観念を得ることができないから、
「こんなに陸に近いのでございますか。それでも、ここにいますと、どちらを見ても陸地は少しも見えないではございませんか」
(中里介山「大菩薩峠 -弁信の巻-」より)

◇野人かつて「道鏡皇胤論」一編を京大史学会の雑誌史林の誌上で発表した事があった。要は道鏡が天智天皇の皇孫であるとの旧説を(8.)し、これによって道鏡に纏わる幾多の疑問を合理的に解説して、以て我が皇統の尊厳をいやが上にも明らかにせんとするにあった。しかるにそれを見られた仏教連合会の当時の幹部の人々は、従来我が仏教がこの悪逆なる妖僧の為に被った冤罪も、この研究によりて幾分緩和せらるべきものとなし、これを複製して世間に頒布したいと申し出でられた。その趣意は、道鏡が臣籍の出として日本において(9.)以来かつて他に類のない非望をあえてしたという事は、彼がまた一の僧侶であることから、我々仏教徒にとってことに遺憾に思い、仏教徒として特に肩身狭く感ずるところであった。しかるにそれがこの考証によりて、彼がうぶからの臣籍の者ではなかった事が明らかにせられた以上、彼が畏れ多くも天位を(10.)し奉った事についても、そこに幾分の理由が認められ、それが必ずしも彼が仏教徒であったが為ではないとの言い開きも立つ訳だというにあった。(喜田貞吉「道鏡皇胤論について」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その22

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[じゅうとうひせきひっちゅうむびるじゅつ]

◇予は今茲に予の経由せる地方、目撃せる事物の(1.)を敢えてせざるべし。彼の国人の著書既に(2.)なるのみならず、予のとりし道は数多の邦人の往来せる所にして、之を説かんことは遼東の豕の譏りを免れざればなり。さりながら其の中に就きて、今尚(3.)に忘れ難きもの二三あり。滬杭鉄道沿線の光景の如き其の一なり。満目の桃林と菜花とは云わずもがな、運河の支脈は村落の中を縦横に貫きて野人の家を繞り、隣家を訪い隣村に赴かんとする者、必ず小船に棹して柳暗花明の間を過ぐ。人若し欲すれば、上海よりして杭州に至るまで、此の船中の歓を継続することを得べし。地勢平坦なれど断絶多くして、縦に車馬を駆けるに適さざること彼のヹニスに似て、而も地域の広狭は固より同日に論ずべきにあらず。而して彼は海、此は河なれど、ゴンドラの風流の一端、亦之を此処に娯しむを得べし。然れども若し更に此の地方の適切なる(4.)を欧羅巴に求めば、独都伯林を流るるスプレーの、其の上流の風光最も之と相若けり。予のスプレー・ワルドに遊びしは、同地方の最好季節と称せらるる昇天祭に先だつこと二ヶ月許り以前、木の芽も未だはり競わざる、春尚うら寒き頃なりき。されば予の見たる所を以て花の盛りのスプレーを推すこと難けれど、要するに彼は自然の閑寂を示すものにして、これは其の豊富なる表現なり、蓋し地味(5.)の差の致す所、若しそれ花下舟に棹すの雅興に至りては、両者殆ど相同じ。上に天堂あり下に蘇杭ありとの言必ずしも欺かず。予今に至りて其の舟遊を試みざりしを悔ゆ。(原勝郎「貢院の春」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[かんきょうげきぜんしゅんせつばくろうへいせん]

◇忘れ難き第二は南京の貢院なり。抑金陵には名蹟勝景甚だ多く、霞に包まれたる紫金山、莫愁湖の雨景、明の故宮は愚か満人の屋敷跡にすら漸々と秀づる(6.)、いずれもとりどりに面白かりしかど、深く(7.)を催せしこと貢院に如くものあらざりき。明代の貢院は太平賊の(8.)に滅びて、今存するは同治三年の修築に係るものと云う。爾来半世紀にして科挙廃せられ、さしも大規模の房舎も無用の長物と化し了し、殊に革命乱以来は風雨に任せて暴露せられたれば、彼の北京の貢院と同じく、全く其の跡を留めざるに至るべきこと、恐らくは十年を出でざるべしと思われたり。五百の房屋、二百九十五号筒(9.)として跫音を聞かず。大門は久しく鎖されたるままなれば、側なる築土の壊れより入りて見るに、折から(10.)中の秦淮の泥土は、院内に運び棄てられて堆高(うずたか)く、道路のみにて積み足らずして、千字文の字号を附して標識とせる号筒の小門を破壊し、号舎内に投げ入れられたるもあり。(原勝郎「貢院の春」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その21

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[きりょこうこうこしつはくとうりたつ]

◇私はこれまで数度にわたって、アジサイが紫陽花ではないこと、また燕子花がカキツバタでないことについて世人に教えてきた。けれども(1.)に入った病はなかなか癒(なお)らなく、世の中の十中ほとんど十の人々はみな(2.)で倒れてゆくのである。哀れむべきではないか。そして俳人、歌人、生花の人などは真っ先に猛省せねばならぬはずだ。(牧野富太郎「植物一日一題」より)

◇池の岸に立ちたる一個人は肉をもて成りたる人間なることを記憶せよ。彼はすべての愛縛、すべての執着、すべての官能的感覚に囲まれてあることを記憶せよ。彼は限りある物質的の権(ちから)をもて争い得る丈は、是等無形の仇敵と(3.)したりということを記憶せよ。彼は功名と(4.)と事業とに手を出すべき多くの機会ありたることを記憶せよ。彼は人世に相渉るの事業に何事をも難しとするところなかりしことを記憶せよ。(北村透谷「人生に相渉るとは何の謂ぞ」より)

◇西国卅三番の霊場を巡拝する善男善女は、ゆくゆく御詠歌を高唱して(5.)の辛労を慰めんとし、また各々その笠に書して同行二人という。蓋し行往つねに大慈大悲の加護を信ずるなり。(龜井勝一郎「帰依と復活」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[かんとうけいけんどうこくはいかいやくじ]

◇すべて古仏や古典への道においてまず大事なのは、深き信愛と(6.)の情であることは前述のとおりである。死者の前に(7.)して、その生命を継がんと誓うように、我々の心を真に感奮せしむるものは廃墟への思いであらう。荒廃の堂に佇んで、はじめて我々はそのいのちにめざめ、埋もれたものの無念の思いに心を傾ける。ただ堂前を(8.)するのみで、心みち足り、かたじけなさに涙こぼるるという態度のみが真実であらう。(龜井勝一郎「帰依と復活」より)

◇「ごらん下さい、この和子の身支度を。すぐここより父孝高のいる播磨の陣へ参って、父に劣らぬ勲を立てて、華々と生死の(9.)に、将来の命数をまかせる覚悟にござりまする」
「なに、では戦場へ行く気か」
「孝高も名ある武士、於松もその人の子。ただ御寛仁にあまえているも本意ではございますまい。――こう察して、半兵衛の取り計らったことでございます。ねがわくば、この少年の初陣のために、ひと言、勇ましく働けと、お励ましを賜るなれば、どんなにありがたいことかわかりません」
「ううむ。……してそちは」
「病軀、何ほどの力も、お味方の足しとなるまいかに存ぜられますが、ちょうどよい折、於松を伴(つ)れて、ともども、帰陣の考えにございまする」
「よいのか。体のほうは」
「武門に生まれて、しかもこのような秋、畳のうえで死ぬるのは、何とも口惜しゅうございます。(10.)に親しんでいても死ぬときには死なねばなりません」
「そうとは気づかなんだ。それまでの覚悟とあれば……。そうだ、於松にも、初陣を祝ってやろう」
(吉川英治「新書太閤記」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その20

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[いんかえいまいきゅうりせっしょうそうまい]

◇今ここに会社を立てて義塾を創め、同志諸子、相ともに講究切磋し、もって洋学に従事するや、事、もと私にあらず、広くこれを世に公にし、士民を問わずいやしくも志あるものをして来学せしめんを欲するなり。
 そもそも洋学のよって興りしその始を尋ぬるに、昔、享保の頃、長崎の訳官某等、和蘭通市の便を計り、その国の書を読み習わんことを訴えしが、速やかに(1.)を賜りぬ。すなわち我が邦の人、横行の文字を読み習うるの始めなり。
 その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田鷧斎等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、洋学(2.)の世なれば、書籍はなはだ乏しく、かつ、これを学ぶに師友なければ、遠く長崎の訳官についてその疑を叩き、たまたま和蘭人に逢わばその実を質せり。けだしこの人々いずれも(3.)卓絶の士なれば、ひたすら我自り古を作すの業にのみ心をゆだね、日夜研精し寝食を忘るるにいたれり。あるいは伝う、蘭化翁、長崎に往きて和蘭語七百余言を学び得たりと。これによって古人、力を用ゆるの切なると、その学の難きとを察すべし。その後、大槻玄沢、宇田川槐園等継起し、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川榛斎父子、坪井信道、箕作阮甫、杉田成卿兄弟および緒方洪庵等、(4.)輩出せり。この際や読書訳文の法、ようやく開け、諸家翻訳の書、陸続、世に出ずるといえども、おおむね和蘭の医籍に止まりて、かたわらその(5.)、天文、地理、化学等の数科に及ぶのみ。ゆえに当時、この学を称して蘭学といえり。
(福沢諭吉「慶応義塾の記」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[かくちかっかこうかんはいたいほうこん]

◇けだしこの時といえども、通商の国は和蘭一州に限り、その来舶するや、ただ西陲の一長崎のみなれば、なお書籍のとぼしきに論なく、すべて修学の道、はなはだ便ならざれば、未だ(6.)の憾みを免れず。然るに嘉永の季、亜美利駕(アメリカ)人、我に渡来し、はじめて和親貿易の盟約を結び、またその好を英、仏、魯等の諸国に通ぜしより、我が邦の形勢、ついに一変し、世の士君子、皆かの国の事情に通ずるの要務たるを知り、よって百般の学科、一時に興り、おのおのその学を首唱し、生徒を教育し、ここにいたりてはじめて洋学の名、起これり。これあに文学の一大進歩ならずや、おもうに一事一運の将に開かんとするや、進むに必ず漸をもってす。たとえばなお楼閣にのぼるに階級あるが如し。すなわち天保・弘化の際、蘭学の行われしは、宝暦・明和の諸哲これが初階を成し、(7.)、洋学のさかんなるは、各国の通好によるといえども、実に天保・弘化の諸公、これが次階をなせり。然らばすなわち吾が党、今日の盛際に遇うも、古人の賜に非ざるをえんや。
 そもそも洋学のもって洋学たるところや、天然に(8.)し、物理を(9.)し、人道を訓誨し、身世を営求するの業にして、真実無妄、細大備具せざるは無く、人として学ばざるべからざるの要務なれば、これを天真の学というて可ならんか。吾が党、この学に従事する、ここに年ありといえども、わずかに一斑をうかがうのみにて、百科(10.)、つねに望洋の嘆を免れず。実に一大事業と称すべし。
(福沢諭吉「慶応義塾の記」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その19

今週から火、木には「文章題書き取り問題」を出題します。
難易度は木曜日の方が高くなっておりますので、予めお含みおきください。
(「文章題書き取り問題」の詳しい説明はコチラ。)



文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[きせきこけんひょうぼうびんらんれんびん]

◇彼女からおじさんの御商売は?と訊かれて、僕は小説を書いていると答えた。靴屋ならば靴をこしらえていると答えるだろうし、時計職ならば時計を組み立てていると答えるだろう。ただ僕の場合はまだ文芸年鑑にも登録されていないし、一冊の著書さえなく、また二三書いたものを発表したこともあるが、その雑誌もいまは廃刊している。けれども若しそんなことで僕が悪びれたりしたなら、その小さな店で敢闘している彼女に対しても、男子の(1.)にかかわることだろう。自分で小説書きを(2.)する以上、上手下手はべつとして、僕としては仕事に励む気になっている。(小山清「落穂拾い」より)

◇衷情を訴えた血涙の文字だと思っているのは、彼自身の感傷が、彼自身を、悲壮にさせていたのだともいえる。
 なぜならば、正直な彼にも、やはり文には、偽飾がある。すべてが、真実ではない。また、(3.)を仰ぎながら、その筆ですぐ強がりもいっている。
 だが、中央の(4.)はもとよりのこと、地方の民治は、支離滅裂な時代ではあった。強い者があくまで勝ち、虚構が正直者を圧し、中央の公卿仲間に如才ない者が、ややもすると、官符を受けて、国庁の権や、土地ところの政情をも、私にうごかし得たのだ。そういう濁流の中の一文としては、まだまだ将門の文字の如きは、あわれむべき小心さと、正直者の光を、紙背にもっていたものといってよいかもしれない。
(吉川英治「平の将門」より)

◇中村花痩もまた硯友社の一人だった。…(中略)…一生借金の苦労に追われて終に名を成す遑がない中に、夫妻相続いて急性の肺患に犯され、一月経たぬ間に夫婦とも(5.)に入った極めて不幸な作者であった。(内田魯庵「硯友社の勃興と道程 -尾崎紅葉-」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[かんぜつしょうりつぜいげんたんせいほうふつ]

◇唐は芸術最盛の時代であった。中にも支那の絵画は、当時の世界に(6.)して居った。唐末のアラビア人の支那見聞録にも、支那人はあらゆる技芸に於いて、世界の各国民中に卓越して居るが、殊に絵画を第一とする。彼等は他国民人には、到底模倣し得ざる程の完全なる絵画を作ると述べてある。支那の鋳金術や合金術も、古代から頗る発達して居った。大師の入唐より約百年前に、則天武后の延載元年(西暦六九四)に、諸蕃長は醵金して、武后の徳を頌する為に、洛陽の宮城の正門前に、銅鉄製の天枢を建てた。天枢の形は八角で、その一面の広さ十二尺、高さ百五尺という。天枢の正面には、武后の親筆で大周万国頌徳天枢の八字を刻し、その周囲には、この計画に賛成した百官及び四夷諸酋長の名を刻した。土台は同じく銅鉄製の山形で、高さ二十尺周囲百七十尺余に及ぶ。この土台の上に、天枢が(7.)して、定めて偉観を呈したであろう。天枢は武后の死後間もなく破壊されたけれど、当時の記録によって、その規模を(8.)の間に想見することが出来る。唐人の金物製作に長じて居ったことは、正倉院の御物――御物の中に唐製の器具尠ないと見受ける――を拝観しても、推知するに難くない。この芸術の発達した唐時代に、或いは(9.)を以て、或いは鋳金を以て、供奉博士に推された人々の、技能の抜群なるべきは(10.)を要せぬ。従って大師が携帯帰朝された、此等の曼荼羅・仏具は、単に芸術的方面から観ても、大いに貴重すべきものと思う。(桑原隲蔵「大師の入唐」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題(13~18)

今季分(その13~18)の「文章題書き取り問題」を纏めたPDFを公開します。

「文章題書き取り問題(13~18)A」「文章題書き取り問題(13~18)B」という2種類のPDFがあり、それぞれ問題は6ページ、解答は1ページです。
前回同様、通常の書き取り形式、語選択の書き取り形式です。

語選択形式のPDFにも「ヒント」は載せておりませんので、ご注意ください。

ダウンロードはコチラから↓
http://ux.getuploader.com/spaceplus01/

時間が経って見つけられない時のために、「文章題書き取り問題」の検索結果画面をリンクしておきます。→コチラ
PDFは複数ありますので、お間違いのないよう番号をご確認ください。



試験までは残りあと僅かですので、深追いの無いよう十分ご注意ください。
上手くご活用いただければ幸いです。

文章題書き取り問題その18

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[けんこつそくりょうひょうかくぶっこふんぽん]

◇大叔父は所謂大通の一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かった。河竹黙阿弥、柳下亭種員、善哉庵永機、同冬映、九代目団十郎、宇治紫文、都千中、乾坤坊良斎などの人々である。中でも黙阿弥は、「江戸桜清水清玄」で紀国屋文左衛門を書くのに、この大叔父を(1.)にした。(2.)してから、もう彼是五十年になるが、生前一時は今紀文と綽号された事があるから、今でも名だけは聞いている人があるかも知れない。――姓は細木、名は藤次郎、俳名は香以、俗称は山城河岸の津藤と云った男である。
 その津藤が或る時吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになった。本郷界隈の或る禅寺の住職で、名は禅超と云ったそうである。それがやはり(3.)となって、玉屋の錦木と云う華魁に馴染んでいた。…(中略)…
 所がふり向いた顔を見ると、反って此方が驚いた。坊主頭と云う事を除いたら、竹内と似ている所などは一つもない。――相手は額の広い割に、眉と眉との間が険しく狭っている。眼の大きく見えるのは、肉の落ちているからであろう。左の頰にある大きな黒子は、その時でもはっきり見えた。その上(4.)が高い。――これだけの顔かたちが、とぎれとぎれに、慌ただしく津藤の眼にはいった。
(芥川龍之介「孤独地獄」より)

◇因みにいう、ここに一つの私の発見がある。それは上の文章中に引用してある万葉歌の真鳥住(マトリスム)云々の歌中に在る菅の実の事であるが、ここには通常スゲの場合に慣用せられている菅の字が使用せられてあるので、これはやはりスゲの事だと(5.)すれば忽ち誤謬に陥る事に成る。(牧野富太郎「植物記」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[いんぷしゅもんそうそうちゅうりくるいじゃく]

◇けだしこの二個の機関はいまだ必ずしも始めよりその職務を区別するものにあらずして、むしろ社会の(6.)においては相混合するものなりといわざるべからず。たとえば無事の日においては農夫となり、戦争の日においては兵士となり、国民も兵士も同一人にしてただその位地にしたがってその称号を異にするの場合においては生産機関も、武備機関も、さらにその相違を見ず。生産すなわち武備、武備すなわち生産にして、かかる実例はかの頼襄が、わが朝の初めて国を建つるや、政体簡易、文武一途、海内を挙げてみな兵なり。…(中略)…しかれども社会の進歩するや、人事いよいよ繁多に赴き、勢い分業の法行われざるを得ず。ここにおいてかその区別漸次に生じ、しかして戦争のつねに絶えざる場合においては武備機関はひとりいよいよ開発し、生産の機関はいよいよ収縮するに至るなり。頼襄が、いわゆる光仁・桓武の朝、彊埸(きょうえき)多事、宝亀中、廷議冗兵をはぶき、百姓を(7.)にす。才、弓馬に堪うる者は、もっぱら武芸を習い、もって徴発に応ず。その(8.)なる者みな農業に就く。しかして兵農まったく分かる、といいしはすなわちこの事実なり。(徳富蘇峰「将来の日本」より)

◇晋の少主の時、婦人あり。容色艶麗、一代の佳。而して帯の下空しく両の足ともに腿よりなし。余は常人に異なるなかりき。其の父、此の無足婦人を膝行軌(いざりぐるま)に乗せ、自ら推しめぐらして京都の南(みんなみ)の方より長安の都に来り、市の中にて、何(ど)うぞやを遣る。聚まり見るもの、日に数千人を下らず。此の婦、声よくして唱う、哀婉聞くに堪えたり。ここに於いて、はじめは曲巷(ちまた)の其処此処より、やがては華屋、(9.)に召されて、其の奥に入らざる処殆ど尠なく、彼を召すもの、皆其の不具にして艶なるを惜しみて、金銀衣裳を施す。然るに後年、京城の諸士にして、かの北狄の回文を受けたるもの少なからず、事顕るるに及びて、官司(やくにん)、其の密使を案討するに、無足の婦人即ち然り、然も奸党の張本たりき。後遂に(10.)せらる、恁(か)くの如きもの人妖也。(泉鏡太郎「唐模樣」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>





今季も「文章題書き取り問題」にお付き合いいただきありがとうございました。
問題を纏めたPDFは、本日中に公開予定です。

来週の月~金の記事は「直前模試」を予定しています。

文章題書き取り問題その17

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[がちゅうとれつばんくつゆうこんれいろう]

◇谷を上って峰がまた転ずると、今度は薊谷と共に雲仙の二大渓谷であり、また同じ旧噴火口であるところの鬼神谷の真上に出る。ここでは国見岳が正面に見え、左に妙見右に江丸と外輪山が、環状に(1.)して普賢に向かっている有り様がよく分かる。鬼神谷は深くその間に落ち込んでいるので、暫くこの落葉樹林に包まれた美くしい渓谷を見下ろしながら、岨伝いに進んで行く。道はますます嶮しくなるが、次第に絶頂に近づき、巨大なくましでが純林風に(2.)している中をぬけて出ると、天地は忽ち開けて、一千三百六十米の普賢の絶頂に立つ。
 高さからいうと、山岳としてはいうに足らぬが、さてもその展望の(3.)秀麗なることよ。雲仙がその景観において、山岳中の首位に推されることの当然さを、一たび普賢の絶頂に立ったものは、誰でも首肯するであろう。
(菊池幽芳「雲仙岳」より)

◇椿岳の米三郎は早くから絵事に志した風流人であって、算盤を弾いて身代を肥やす商売人肌ではなかった。…(中略)…丁度兄の伊藤八兵衛が本所の油堀に油会所を建て、水藩の名義で金穀その他の運上を扱い、業務上水府の家職を初め諸藩のお留守居、勘定役等と交渉する必要があったので、伊藤は専ら椿岳の米三郎を交際方面に当たらしめた。
 伊藤は(4.)一方の人物で、眼に一丁字なく、かつて応挙の王昭君の幅を見て、「椿岳、これは八百屋お七か」と訊いたという奇抜な逸事を残したほどの無風流漢であった。随って商売上武家と交渉するには多才多芸な椿岳の斡旋(とりもち)を必要としたので、八面(5.)の椿岳の才機は伊藤を助けて算盤玉以上に伊藤を儲けさしたのである。
(内田魯庵「淡島椿岳」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[あゆおとくぎもうくくこうはく]

◇栃木県庁は谷中村買収を行うに当たり、村役場を占領して村民誘拐の事務所とし(6.)を散じて良民を惑乱し或いは威嚇し、而して誘拐したる人民を冷遇しつつあり。…(中略)…
 村民中買収の手先となりて官より報酬を受け居る悪徒は一人にても多く誘拐して移住せしむれば自己の利益となるが故に、(7.)佞弁を以て良民を(8.)し之を誘拐して窮地に陥るることを勉めつつあり。之に依りて生ずる弊害は実に少なからずして犯罪的行為も亦公行されつつあり。彼等悪徒は(9.)たる銅臭のために其の良心を(10.)せられ同郷の友を殺して私利を貪るに汲々たり。嗚呼されば彼等を馳せて悪徒たらしめたる者は果して誰ぞや。
(田中正造「非常歎願書」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その16

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[えんぜんけいごけいぜんこうたんゆうすい]

◇…余は此の一誓言の中に、亦多少の計画、多少の作用を含蓄するものあるを信ず、彼は元来非常の神経質なり。故に喜怒共に極めて激烈なりと雖も、其の人心の詭秘を見ること甚だ深刻にして、容易に他の欺く所とならざらんことを勉む。是彼の一政友が、常に此の一事を以て彼の欠点なりとする所なり。されど彼が下院に於ける演説の敵の皮肉を穿つの(1.)多きは、其の能く人心の弱点を看破するの明あるが為にして、其の時として(2.)附会に類するの言論あるは、亦余りに暗黒の一面を偏視するが為なり。若し彼をして今少し真面目ならしめ、今少し健全の思想を有せしめば、彼は代議士として実に得易からざるの人物なり。惜しいかな無学にして大体に通ぜず、無識にして組織的成見を有せず。是其動もすれば正径を誤るの盲動ある所以なり。
 されど彼は兎も角下院の名物なり。彼動けば、議場は一個の劇壇にして、彼は(3.)たる政治的俳優なり。是彼が名の海内に持て囃さるる所以に非ずや。
(鳥谷部春汀「明治人物月旦(抄)」より)

◇土地では弘法様のお祭、お祭といっているが春秋二季の大式日、月々の命日は知らず、不断、この奥の院は、長々と螺線をゆるく田畝の上に繞らした、処々、萱薄、草々の茂みに立ったしるべの石碑を、杖笠を棄てて彳(たたず)んだ順礼、道しゃの姿に見せる、それとても行くとも皈(かえ)るともなく(4.)として独り佇むばかりで、往来の人は殆どない。またそれだけに、奥の院は(5.)森厳である。(泉鏡花「遺稿」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[さたんしゅれんしょしせいしょくとうじょう]

◇往年出版(6.)の横暴を叫んだ時もあったが、近年は小売書店が横暴を極めて居るそうである、がモ一つ転じて読者の横暴時代に化さねばならぬと法学博士某が云った、読者の横暴とは如何の事か知らない、書店で立ち読みして買わないのは横暴でなく卑劣の横着であるが、円本出版屋の方では、横暴読者既に在り、予約を無視して中途で破約するのは横暴であると云うだろう、此の種の横暴には我が輩大(7.)大賛成である。(宮武外骨「一円本流行の害毒と其裏面談」より)

◇領主「ベンヺーリオーよ、此の無慙な(8.)を始めたのは誰じゃ?」
ベンヺ「チッバルトにござります、ロミオに殺されたましたる。ロミオは言葉穏やかに、此の争端の取るに足らぬ由を反省させ、二つには殿のお怒りを思いやれ、と(9.)を和らげ、膝を曲げて、さまざまに申しましたなれども、中裁には耳を仮しませぬチッバルト、理不尽なる怒りの切っ先、只一突きにとマーキューシオー殿の胸元をめがけて突いてかかりまする、此方も同じく血気の勇士、なにを小才覚(ちょこざい)なと立ち向かい、氷の死の手をば引ッ外して右手に附け入りまする(10.)の切っ先、それを撥ね反すチッバルト。」
(ウィリアム・シェークスピア「ロミオとヂュリエット」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その15

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[おうかさいはいしかしゅんじゅんにゅうしゅう]

◇総じて書生上がりの細脛を使いこなすことは、実に容易なことではない。彼らはただ文字の上から労働神聖を(1.)するに過ぎずして、とうてい実行の人たることは出来ない。せっかく空想を捨て、着実な職業を学ばんとした決心は殊勝であるが、彼らの心底には(恐らく自分にも心づかざるべし)なお職業というものを一種の軽侮心をもって視るゆえに、労働に従事しつつ馬鹿馬鹿しいとの念が失せることなく、その職に趣味を感ずるに至らずして中途で廃するものが多い。
 また彼らは女学生上がりが奥様風を好んで町人風を装うのを厭がる如く書生上がりの職人も昔の書生風を脱却するに(2.)躊躇するものの如く見える。同じ朋輩の職人や小僧と共に外出するにも、自分だけは羽織袴にステッキという扮装で、一見子弟を率いる先生の如くである。これ甚だ些細のことであるが、必竟書生風を脱し得ない輩は、その覚悟もまだまだ本気でなく、(3.)さが取れていないことを証明するのと見て差し支えはない。また体力においても、小僧から鍛錬されたものよりははるかに弱くして、忍耐力少なく、僅かの労働にもたちまち疲労を来し、また自ら苦痛を感ずること甚だしいので、主人側でもこの書生上がりの職人を雇うことは非常に不得策で、使いにくいこと予想の外である。
(相馬愛蔵「私の小売商道」より)

◇従来の古白俳句に対する評価は、次の子規の二つの記述に大きく依存している。
 ・「二十四年の秋、俳句句合数十句を作る。趣向も句法も新しく且つ趣味の深きこと当時に在りては破天荒ともいうべく余等(4.)を驚かせり。<中略>此等の句はたしかに明治俳句界の啓明と目すべき者なり。<中略>二十五年六年七年と漸次に古白の俳句も進みたるに拘わらず、二十七年の頃より彼は却って月並調を学びて些細の穿ちなどを好むに至り、その俳句は全く価値を失いたり。」
 ・「其の草稿を取って熟読するに及んで歌俳小説尽く(5.)多くして残すに足らず。完全なるは十数首の俳句のみ。」
(藤井英男編「藤野古白句集」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[うんかきぎしゅうらんふとうろうかい]

◇…蓋し古より能く人心を(6.)するものは、決して術数権謀の士に非ず。…(中略)…唯誠実の士にして智慧を用いるもの、始めて能く誠実をして好方便たらしむるを得るのみ、田中正造氏の如き稍々之を得たり。…(中略)…
 試しに見よ、鉱毒問題は古河市兵衛氏と地方一部の農民との間に起これる一小事件のみ。決して之を天下の大問題と謂う可からず。而も田中氏が一たび此の問題を持把して下院に現るるや、其の声頗る大にして、終に下院を動かし、政府を動かし復之を一小事件と認むる能わざるに至らしめたり。彼は此の問題に於いて(7.)縦横なる後藤伯と争えり。才弁多智なる陸奥伯と争えり、而して一方に於いては、大胆にして術数ある古河氏を相手として、(8.)不屈の戦闘を継続したり。種々の誘惑種々の恐嚇種々の圧力は、絶えず彼及び彼の代表せる地方民を掩襲したるに拘わらず、彼は一切之を排除して、曽て窘窮したる迹を示さず。是其の戦略巧妙にして進退掛け引き善く(9.)に適するものあるが為なり。…(中略)…彼は現内閣と地方民との間に立ちて、再び此の問題を解釈せざる可からざる位地に在り。是彼が為に最も困難なる位地なりと謂う可し。而も彼は(10.)の如く押し寄せ来れる請願人民に対して、死を以て此の問題の為に尽力す可きを誓う。…
(鳥谷部春汀「明治人物月旦(抄)」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その14

文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[きょうりょうさいぎちようぼうこらちない]

◇…余はその巨大なる外力の数値を何とかして得たいと思って努力したが、それは不成功に終わった。その不成功の原因の一つは、わが国に対する妥当でない(1.)心によるものである。しかし余の現在における希望は、もはやそういう問題をどうのこうのと論ずるにあらずして、われらはわれらの仕事に更に熱中することにある。具体的にいえば、更に強力なる耐圧船を建造することにある。われらの技術は、まだ世界人の知識にないほど進んでいるのだ。今日われらの売り出そうとする砕氷船の如きは、もはやわれらがその技術を秘密の(2.)に停めて置かなければならないようなそんな特殊なものではなくなったのだ。われらは今後も続々とわれらの技術作品を公開する考えである。(海野十三「地球発狂事件」より)

◇近時化石学上の発見甚だ多きに伴(つ)れて過去世に地上に住んだ大爬虫遺骸の発見夥しく竜談の根本と見るべきものすこぶる多い。しかし今とても竜の画のような動物は前述鱗蛇、鱷(がく)飛竜などのほかにも世界に乏しからぬ。したがって亡友カービー氏等が主張した、過去世に人間の遠祖が当身(そのみ)巨大怪異の爬虫輩の(3.)跋扈に逢った事実を幾千代後の今に語り伝えて(4.)影のごとく吾人の記憶に存するものが竜であるという説のみでは受け取れず、予はかかる仏家の宿命通説のような曖昧な論よりは、竜は今日も多少実在する鱷等の虚張談に、蛇崇拝の余波や竜巻地陥り等諸天象(5.)に対する恐怖や、過去世動物の化石の誤察等を堆(つ)み重ねて発達した想像動物なりというを正しと惟う。(南方熊楠「十二支考 -田原藤太竜宮入りの話-」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[えんりゅうきょしょしょとくすいたくたいか]

◇詩話の文に拠れば、梅泉は江戸に来て、其の年に又江戸を去った。蕊雲楼の祖筵は其の月日を載せぬが、「水拍欄干明鏡光、荷亭月浄浴清涼」の句は、叙する所の景が夏秋の交なることを示している。祖筵の所も亦文飾のために知り難くなっているが、必ずや池の端あたりであろう。
 次に梅泉が神辺に宿したのは何時であらうか。菅茶山の(6.)を見るに、事は書を裁した年にあって、書を裁した日の前にあると知られるのみである。即ち文化十四年の初めより八月七日に至るまでの間に、梅泉は神辺に来て泊まったのである。若し夏秋の交に江戸を去ったとすると、春夏の月日をば長崎より江戸に至る往路、江戸に於ける(7.)に費したとしなくてはならない。わたくしは梅泉が丁丑の初めに江戸に来り、夏秋の交に江戸を去り、帰途神辺に宿したものと見て、(8.)なかろうとおもう。
 わたくしは既に梅泉の生歿年を明らかにし、又略その江戸に来去した月日を(9.)した。わたくしは猶此に梅泉の画を江稼圃に学んだ年に就いて附記して置きたい。
 梅泉は長崎の人である。稼圃が来り航した時、恐らくは多く(10.)を過ごすことなく従学したであろう。田能村竹田の山中人饒舌に「己巳歳江大来稼圃者至」と書してある。己巳は文化六年である。梅泉は恐らくは文化六年に二十四歳で稼圃の門人となったのであろう。
(森鴎外「伊沢蘭軒」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


文章題書き取り問題その13

昨日お伝えした通り、火と金は「文章題書き取り問題」の出題です。
(「文章題書き取り問題」の詳しい説明はコチラ。)



文章題書き取り問題(選択形式)です。

語群(1~5):[あいたいせいかせいひつぼんしょうらんまん]

◇恋愛のような人生の至宝に対しては、私たちはでき得る限り、現実生活の物的、便宜的条件によって、妥協的な、平板なものにすることをさけて、その精神性と神秘性とを保存し追究するようにしなければならぬ。心霊の高貴とか、いのちの不思議とかいうようなものは、物質を超越しようとする志向の下に初めてなりたつ事柄で、物的条件をエキスキュースにしだしては死滅してしまうのである。だから前回に述べたような現実の心づかいは実にやむを得ない制約なので、恋愛の思想――生粋(1.)はどこまでも恋愛の法則そのものに内在しているのだ。だからかわいたしみったれた考えを起こさずに、恋する以上は霞の(2.)としているような、(3.)の鳴っているような、桜の(4.)としているような、丹椿の沈み匂うているような、もしくは火山や深淵の側に立っているような、――つねに死と永遠と美とからはなれない心霊界においての恋を生きる気でなければならぬ。…(中略)…
 恋愛の宝所はパセチックばかりではない。恋の灼熱が通って、徳の調和に――さらに湖のような英知と、青空のような(5.)とに向かって行くことは最も望ましい恋の上昇である。…(中略)…燃えるような恋をして、洗われる芋のように苦労して、しかも笛と琴とのように調和して、そしてしまいには、松に風の沿うように静かになる。それが恋愛の理想である。
(倉田百三「女性の諸問題」より)

<ヒントの表示(1~5)>

語群(6~10):[じょうししんせいどうじゃくどうしゅうひばく]

◇…三十年前、亜米利加のペルリが、数発の砲声を以て、江戸城中を混雑せしめたる当時と今日とを並べ見るの利益を有する人々には我が文明の勢い、猶(6.)千丈、直下して障礙なきに似たる者あらんか、東西古今文明の急進勇歩、我が国の如きもの何処に在る。…(中略)…
 夫物質的の文明は唯物質的の人を生むに足れる而已(のみ)、我が三十年間の進歩は実に非常なる進歩に相違なし、欧米人をして後(しりえ)に(7.)たらしむる程の進歩に相違なし、然れども余を以て之を見るに、詮じ来れば是唯物質的の文明に過ぎず、是を以て其の文明の生み出せる健児も、残念ながら亦唯物質的の人なる耳、色眼鏡を懸け、「シガレット」を薫(くゆ)らし、「フロック、コート」の威儀堂々たる、敬すべきが如し、然れども是(8.)紛々たる人に非ずんば、黄金山を夢むるの児なり、其の中に於いて高潔の志を有し、慷慨の気を保つもの、即ち(9.)も啻ならじ、束髪峨々として緑鬖(りょくさん)額をつつみ、能く外国の人と語り、能く「ピアノ」を弾ず、看来れば宛然たる「レディス」なり、然れども其の中に存するものは空の空なるのみ、赤間ヶ関の荒村破屋に嘗て野「バラ」の如くに天香を放ちし、烈女阿正の如き、義俠深愛、貞節の如き美徳は之を貴き今日の(10.)軍に求むべからず、…
(山路愛山「英雄論 -明治廿三年十一月十日静岡劇塲若竹座に於て演説草稿-」より)

<ヒントの表示(6~10)>



<解答の表示>


同音異義問題(17~26)

「同音異義問題」シリーズの問題を纏めたPDFを公開します。
今回は「その17」~「その26」を纏めたものです。

「同音異義問題(17~26)」というPDFで、問題は8ページ、解答は2ページです。
各回の問題はページを跨いで載っているものもあります。
印刷された際には、順番を間違えないようご注意ください。

なお、PDFには「ヒント」は載せておりません。

ダウンロードはコチラから↓
http://ux.getuploader.com/spaceplus01/

時間が経って見つけられない時のために、「同音異義問題」の検索結果画面をリンクしておきます。→コチラ
「同音異義問題」のPDFは複数ありますので、お間違えのないよう番号をご確認ください。

なお、このシリーズでは1級熟語をメインにした「その1」~「その10」の問題が最も重要度が高いと思われますので、そちらを中心に取り組まれることをオススメします。



ちなみに、本日(9/20)が試験R1-2の申し込み期限です。
受検予定で申し込みがまだの方はお忘れの無いようお気を付けください。

同音異義問題 その26

同音異義問題を出題します。(詳しくはコチラ

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。

続きを読む

同音異義問題 その25

同音異義問題を出題します。(詳しくはコチラ

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。

続きを読む

同音異義問題 その24

同音異義問題を出題します。(詳しくはコチラ

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。

続きを読む

同音異義問題 その23

同音異義問題を出題します。(詳しくはコチラ

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。

続きを読む

同音異義問題 その22

同音異義問題を出題します。(詳しくはコチラ

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。

続きを読む
次のページ